創業秘話

1.諏訪初の餃子屋「餃子菜館」創業

長野県の餃子とラーメンの飲食チェーン「みんなのテンホウ」。当社の創業は昭和31年にさかのぼります。

創業者は「百代(ももよ)おばあちゃん」。長野県諏訪市上諏訪に、この地域では初めてとなる餃子のお店を開業しました。そのお店の名前は「餃子菜館」です。

その当時ラーメンはまだ世の中にない時代で、餃子とチャーメン(炒めた麺)、タンメン(湯麺)とビーフンを使った料理などが主な商品でした。

実は「餃子菜館」の創業以前は温泉旅館を営んでいます。上諏訪の温泉街で栄えた町の一角にあった「天宝 鶴の湯」という小さな旅館です。まだ上諏訪駅前が砂利道だった頃の話です。

なぜ飲食店を始めたのか?それは、高度経済成長期といわれる時代の中、大型の旅館が諏訪湖周辺にもでき始め小さな旅館では太刀打ちできないと考えた上での業態変更だったとのこと。

百代おばあちゃんは先見性と行動力のある方でした。

幼少期に各地を転々として、大変な苦労をしていたこともあり「食」に対して閃くものがあったのでしょう。
東京歌舞伎町にあった行列ができるような某有名中華料理店に惚れ込み、何とか教えていただけないかと単身修行に行きました。

その当時に女性が職人の技を教わりに行くのです。大変な苦労があったことは容易に想像できます。
しかも無給で働き、邪魔扱いされながらも当時の店主に何とか認められてギョウザやチャーメン・タンメンのレシピを習得してきました。
「おばさんがんばったな。この調理法は誰にも教えちゃいけないよ。」と言ってそっとその秘密を教えていただけたそうです。
それが「テンホウ」の原点となる「天宝 鶴の湯 餃子菜館」の創業へとつながりました。(昭和31年開業)

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上諏訪の町も人があふれにぎわっていた時代。珍しい食べ物なので大変喜ばれていたそうです。
また、ギョウザを諏訪に初めて持ってきたというだけでなく、その当時は周りにこうした飲食のお店があまりない時代なので相当繁盛していたと聞いています。
今でもその頃の美味しさや感動を、私たちに伝えてくれる年配のお客さんがいます。
「こんなに旨いものが世の中にあるのか!と驚いた。」
「子供の頃、母にお遣いを頼まれて、餃子菜館(鶴の湯)に餃子を買いに行くのが楽しみだった。」
「高校時代通い詰めた。」

みんな「鶴の湯」が青春の1ページになっているんですね。その時代を私は知りませんが、聞いているだけでとても嬉しいです。

創業から半世紀。実は「絶対に変えてはいけない」という秘伝のレシピやノウハウはこの時から続いています。ギョウザの皮や具、香辛料や調味料、そしてキャベツのキムチの造り方などです。

創業当時はギョウザとタンメン、チャーメン等がメインで、いわゆる「ラーメン」の登場はもっと後になります。

テンホウの由来

昭和48年、創業者から初代社長(大石孝三郎)が事業を引き継ぎ「餃子菜館」から「(株)テンホウ・フーズ」と改名し会社を設立しました。

名前の由来は「天の宝」をカタカナで読むところから来ております。意味は「天から授かった宝物」「大変貴重なもの」など「地域社会になくてはならない店になる」という想いが込められています。

初代社長は、「家族経営で小さく終わらせたくない。もっと多くのお客様にお届けできるようにする!」と夢を持ち、当時出たてのコンビニエンスやレストランチェーンの仕組みをいち早く取り入れ多店舗化を目指します。

商品開発もこの頃から活発に行われてきました。
「ラーメン」をはじめ、今や大人気商品の「タンタンメン」、「バンバンチーメン」。さらに、長崎ちゃんぽんを取り入れた「テンホウメン」や「長崎皿うどん」などなど、県内にまだない商品をどんどん商品化してお客様にご提案していきます。

「すべてはお客様に喜んでいただくため」。その一身で商品を増やしていきました。
「こんな商品あるの?」「初めて食べる!」こんなお言葉をいただけることがテンホウで働く者の喜びなんです。そして喜んでいただくことでファンも増えていったんですね。

創業当時から多店舗化を視野に入れ、より多くの方にご提供できるよう早い時期から工場を作って機械化も進めていきました。2店舗目のあとにすぐ工場を建設したんです。商品を販売するための店舗も少ないのに建てるなんてすごいですよね。冒険です。
しかも、ギョウザの機械などは当時としては最先端なものを導入していたようです。

しかし、工場設立から二年後、火事で全焼してしまいます。

創業時ですからお金がなかったり、従業員が集まらなかったりと相当な苦労がありました。
ですが、そうした苦難を乗り越えることができたのは、窮地を助けてくれる「人」に恵まれていたからです。当時通い詰めてくれていたお客さんや従業員、そして業者さんや地主さんなど感謝する人たちが私たちにはたくさんいます。
これが、私たちテンホウが「人」を大切にするようになった原点になっています。
こうした原点となる考え方や恩は脈々と受け継がれていくものですね。

story_olddays ↑左から 社員、現社長、百代(ももよ)おばあちゃん、先代社長
(昭和49年 上諏訪末広町1号店「餃子菜館」)

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